2022年5月10日火曜日

一人旅の話2

契りあらば六の巷に待てしばし 遅れ先立つことはありとも

 

みなさんこんにちは。AAの内藤です。

上の歌は戦国武将大谷吉継の辞世の句。関ヶ原の西軍で唯一切腹した武将と言われています。さて、「一人旅の話パート2! 〜関ヶ原編〜」 はじまりはじまり〜!

 

大垣を出た私は垂井を通り過ぎて16時半ごろ、関ヶ原で下車した。

関ヶ原、思った以上の田舎である。まず、改札に行くために一度階段を上り、高架橋を渡ってまた階段を下りなければならない。キャリーバッグの重みが右腕に痛かった。

そして困ったことにコインロッカーがない(あってもケチって使わなかった可能性はあるが)。仕方なくキャリーバッグを引っ張りながら道を行くと、線路と道を隔てる金網に「関ヶ原オススメルート」なるものが戦国武将ごとに掲示されていた。既にお分かりかと思うが私は大谷吉継推しである。その刎頚の友である石田三成も好きだ。

「いや、吉継の墓遠っ……」

それもそのはず。彼は敵方に自分の首を取られないよう山奥でひっそり眠っているのだから。一日あっても回りきれるのか分からないような数十km単位の旅程である。時刻はもはや暮れ方。私は早々に推しの墓参りを諦めて関ヶ原古戦場記念館へと向かった。

記念館の入場には3分遅れで間に合わなかったのでお土産屋さんにだけ入る。全国どこを見てもこんなに大谷吉継グッズが置いてある店はここしかないだろう。にまにましながら大谷吉継がラベルに印刷されている水なんかを買って、外に出た。

完全に日が暮れるまではもう少し時間がある。近場の史跡なら行けるかもしれない。そう考えた私は案内板に「石田三成陣跡 1.5km」と書かれたのを認めた。1.5ならいける。謎の自信を発揮し、重いキャリーバッグをぐんぐん引っ張って緩やかな坂道を上った。

坂道。そう、ここは関ヶ原なのだ。盆地にまばらな住宅と、四方を囲む山。石田三成の陣が笹尾山の山頂であることも、私はもちろん知っていた。はずだ。

笹尾山の麓には三成の家臣である島左近の陣跡がある。その横の看板には「三成の陣まで徒歩五分」の字。そのやじるしの先には急な階段だ。既に坂道で体力値を大幅に減少させた自分には、この大荷物を持ったまま登山する余力はない。しかし、荷物が無ければワンチャン……しかも目的地は徒歩5分、なんならすぐ上にもう見えている。三成の陣から吉継の陣は見えるのか、小早川の陣は見えるのか、徳川の陣は見えるのか、ここまで来たならどうしても確かめたかった。幸い人もそんなにいない。かと言って荷物を盗まれたらどこにも行けなくなる。数分のためらいの後、私は決心した。荷物は看板の下に置いて、爆速で登って爆速で降りる。

安定したところにバッグを置くと、私は階段を駆け上った。

ぜえぜえ言いながら頂上に着いた私を老夫婦が不審そうに見つめる。二人から目をそらしつつなるべくゆっくりした動きで、しかし急ぎながら各武将の陣の位置を確かめた。吉継の陣がほとんど見えないことが分かるとすぐに元来た道を駆け降りる。(人がいないからよかったが普通に危ないので読者諸賢はこんなことしないように。)

果たして荷物は無事だった。ほっとしてベンチに座ると、少しお腹がすいてきたので大垣で買った桜もなかを食べた。めちゃくちゃ美味しかった。

 

その後は30分に一本の電車を逃すまいとこれまた急いで駅に向かい、時刻を読み間違えて15分待ち、そして京都へ向かうことになるのだが、またもや長すぎたのでここまで。

京都編はまたいずれ。